【つらい】会社員、学生が組織、団体内(会社、部活など)で仕事や実力が評価されないときの考え方9選【辞めたい】

 
どうも自分はこの組織(会社、部活など)の中で実力より評価されていない。自分よりできない奴が重視されているし。おかしいよ。どうせわかってくれないならこんなところやめちゃおうか?

こんな風に思っていませんか?

 

こんにちは、ナオシです。

 

組織の中で自分の実力が正しく評価されていないと思う事はたくさんあります。あいつより仕事できるのに出世できない、あいつよりサッカーうまいのにレギュラーになれないなどです。

 

 
私もそんな不満を持ちつつ仕事をしていました。でも私も経営者になって組織全体から人を評価をする立場になると、違うことがわかってきたのです。

 

正しい評価がされるのどのようにすればいいか、評価を良くするため、また活動しやすくするためにはどうしたらいいのでしょうか?

 

会社などの組織の中で、実力で評価されるには時間がかかるかもしれない
(結局は実力があるひとは出世して、実力がないひとは出世しない)

 

会社員や学生の評価に対するよくありがちな誤解があります。上司や監督などに好かれるかどうかによって出世や組織内で重視されるかが決まると考えることです。

 

しかし、ワンマン企業や同族企業、トップの考え方で評価が決まる場合を除いては、基本的には評価は長時間かけて平均化されます。

つまり、会社だと5年10年の時間がかかっても、実力がある人は出世し、実力がない人は出世できないという当然の結果が出るということです。

 

学生でも、強い組織であれば、結局は実力がある生徒がレギュラーになったり、重視されたりします。
もちろん監督や部長の個人的な意向は出てくるでしょう。
それでもそこが強豪校で、より良い大会に出ることを目標にしているのであれば、最終的にチームが勝つためのチーム作りをしていきます。

 

組織の中の人間にある程度適正な評価がされない限り、普通は社会に長い間生き残っていけません。実力がない人ばかりが出世する会社はいずれつぶれます。

部活でも、本当に強い部は勝つために実力のある学生を使います。なので、評価は一時的に上下する事はありますが、長い時間をかけて正当な評価がされるものです。

 
私も人間の好き嫌いとは関係なく仕事を評価しています。好きだけど実力がない人を出世させると、分の会社がいずれなくなるからです。

 

会社員が組織内で一時的に評価が低くても、本当に実力があれば必ず正当に評価されます。そこで諦めてしまえば、正しくない評価が固定されてしまいます。

学生でも、部活でレギュラーが取れなくても、腐らずに努力を続けていれば正しい評価がされる可能性が高くなっていきます。そこでレギュラーが取れなければ、自分の実力不足だと考え直して別の努力や工夫をしていかなければなりません。

 

会社のトップに近くなれば、どの派閥に所属するかによって将来のポストも変わってくるかも知れません。
でも係長になれるか課長になれるか位のポストでは、純粋に仕事の内容が評価されるはずです。
学生の場合、所属する期間が短いので、部長や監督の一存で決まってしまう事はあり得ます。
それでも、長い時間をかけて実力を上げていけば、組織が変われば(進学すれば)必ず日の目を見る日が来るはずです。

 

あいつはおべっかを使っているから出世できるとか、ご機嫌取りが上手い奴が仕事とは関係なく出世するとか考えるのは、今すぐやめましょう。監督にうまく取り入っているからレギュラーになれてるとか考えるなら、実力を上げた方がレギュラーになれると考えた方がレギュラーになりやすいです。

 

ゴマスリなどが5年10年かけた仕事の評価に勝る事は無いのです。それを信じて仕事に精進すれば、必ず良いことがあります。

自分がすべき仕事をきっちりとこなしていく方が、ゴマスリよりも有効であると信じて仕事をしていきましょう。

会社など組織内の実力の評価は、仕事や技術の能力だけでなく人間性でもされる

 

むしろここで注意しなければならないのは、組織内の実力とは、仕事ができるとか、技術が高いだけでは測れないことです。

私はどんなに仕事ができても、人間的に尊敬されない人をリーダーにはしません。組織を円滑に回すためには、組織の中の人間関係を良好にする必要が絶対にあるからです。仕事ができる人、プレイが上手い人で、組織内でよく扱われていない人はここを勘違いしています

 

あなたが、自分の実力が正当に評価されていない、「こんなに仕事ができるのにこんなに競技がうまいのになぜ評価されないんだ!」と思っているとします
評価されない理由は、上司や監督が総合的にあなたの実力を正しく判断しているからかもしれませんよ。

 

例えば、とっても野球が上手くても、才能だけでやっていて練習態度が悪ければ、レギュラーになれないかもしれません。他の人が練習をするやる気をなくしてしまう可能性があるからです。

長い時間を考えれば、練習以外で個人個人が実力を伸ばす方法は無いのです。彼一人のために、チームが練習に対する価値を下げてしまうと、チーム全体にとっては必ずマイナスになります。

 

組織にとっての個人個人の実力とは、必ずしも仕事や技術だけで図られるものではありません。
個人競技であっても、組織でチーム全体で向上しようとしている以上、個人のスタンドプレイは大して評価されません。
組織に対してどのようなプラスを与えているかを、総合的に判断されます。

 

経営者からしてみれば、組織全体を向上させているかがその人の実力なのです。技術やプレイヤーとしての能力が優れている人は、自分の技術や仕事を取り除いたらどの程度組織に貢献できているかを考える必要があるでしょう。

 

会社や部活で直属の上司や監督に嫌われると、正しく評価されない

 

組織人として、充実した仕事や部活動などをするためにまず考えなければいけないことは、直属の上司や監督に好かれること、少なくとも嫌われないことです。

 

先程言ったように、おべっかやごますりをする必要はありません。

それでも、直属の上司や監督の考え方が気に入らなくても、わざわざ嫌われる必要はありません。
仕事上の幸福度を上げるためには、直属の上司に気に入られることが重要だという研究結果も出ています。

 

人間関係を作れるかによって、組織上の評価も変わります。特に直属の上司との人間関係を適切に作れると言う事は、組織において上位者の意思がきちんと反映されているために必要なことです。

 

また、やりたい仕事をやることと、直属の上司の要求に応えることとのバランスをとって仕事をやれば、上司の信頼を得てやりたいことをやれる場面が増えてきます

 

本当に自分のやりたい仕事をしたい、自分のプレイをしたい、持ち味を活かしたいのであれば、レギュラーになって、出世してその立場で組織や仕事自体を変えていかなければなりません。

 

あなたが本当にプレイがうまいのであれば、あなたを生かすチームづくりをするでしょう。出世して上長になれば、権限が与えられやりたい仕事の幅が広がります。

 

そこに到達するまでは、一定の犠牲が必要です。直属の上司や監督に嫌われてしまうと、そこに到達するまでの道のりが遠回りになってしまいます

意味のない遠回りをしないように、出世して自分のやりたいように仕事や競技をやるために、直属の上司に嫌われないようにしましょう。

 

仕事の報酬や組織で重視されることは、人間関係作りの対価としてもらえると考えるべき

 

 

業績上位のうちの90%は人間関係を作るのがうまいと言われています。これはどういう意味なのでしょうか?

 

いくら技術が高くて、いくら仕事ができても、人間的に優れていなければ基本的には出世はできません。組織ですから、仕事が円滑に回るためには、必ずコミュニケーションが必要です。

そのコミュニケーションがうまくできていない人は、組織の中で必ず孤立し、1人でできる仕事はできても組織全体を生かす大きな仕事はできないものです。人間的に優れていない人は人間関係もうまく作れず、出世できないのです。

 

仕事の報酬の対価は、仕事そのものと言うよりも、特に管理職やリーダーの場合は人間関係を適切に作ってきた対価と考えた方が良いでしょう。

1プレイヤーとして仕事や部活などをしている間は、人間関係についてそこまで考えずにただ仕事やうまいプレイさえできれば問題は無いのでしょう。
しかしマネージャーやリーダーとなれば、組織全体に目配せをし、一人ひとりを生かすべく研鑽を続けてきた人の方が大きな成果を出せるでしょう。

 

会社やチームは、人間関係を正しく作れるかも評価して、ポストや報酬を決めますし、我慢して人間関係を作った対価に報酬や地位はもらえるのです。

仕事ができるのに出世できず給料が上がらない、プレイはうまいのにレギュラーにもなれない人は、そこが問題の可能性大です。

 

自分の実力の客観的な評価は他人がするもの

 

よく自分の仕事やプレイの客観的な評価を自分でしようとしている人がいます。
でも基本的に自分では自分を客観的に評価できないと考えた方が仕事は進めやすいです。
なぜなら人間は、自分の評価を高めに見積もる傾向があり、他者の評価と自分の評価のギャップに耐える事は難しいからです。

 
働いている人の多くは、上司の自分への評価が低いことに悩みます。また部活でも監督が使ってくれないと悩みます。でも客観的に見れる第三者と違って、あなたがあなたの仕事やプレイを正確に評価するのは難しいです。

 

サッカーを見ている人は、テレビではプレイヤーよりも圧倒的な有利な視点で見ることができます。なので「右サイドが空いてる」とか「ディフェンスラインがバラバラだ」とか、自分が絶対にプレイヤーとしてできないのに正しい指摘ができます。

あなたの頭のてっぺんを、あなたは簡単に見ることができますか?
他の人は、あなたの頭のてっぺんと他の人の頭のてっぺんを見て比較することが容易です。
あなたは人の頭を見て「自分の方がいい」と言えますか?仕事やプレイの評価も似たようなものです。
そして、さらに上から見れる視点を持つには、経験が必要です。
だから上司監督を含めた会社やチーム全体があなたを評価した方が、自己評価よりも正確だと言えるのです。

 

先程言ったように、長い間仕事などを続けていれば、あなたの仕事は遅かれ早かれ正当に評価されます。もしあなたに対する評価が低ければ、あなたは謙虚に自分の仕事がまだ足りないのだと考えて、仕事に打ち込んだ方が評価も上がってストレスも感じなくて済みます

 

評価は勝手に人にさせておいてあなたはあなたの仕事をしましょう。

 

自分の仕事やプレイを自分なりに、主観的に評価する基準を持とう

自分で自分の仕事やプレイに納得できる基準を作る

ぱっと見さっき言った話と矛盾しているようなテーマです。
やっていただけたら分かると思いますが、自分の仕事やプレイ自分なりの基準に当てはめて評価する事は、仕事に対するコントロール感を高めて仕事やプレイへの幸福度を上げます自分で自分の仕事やプレイに納得できる基準を作るのです。

 

どんな仕事や競技でも、目標を達成する前に障害や制限が出てきます。例えば、上司や監督の考え方であったり、取引先や対戦相手との関係、コンプライアンス上の問題、体調などです。

もし障害のために成果が得られなかったとしても、自分の基準に照らし合わせて納得できる仕事やプレイができていれば、結果にそれほど苦しむことはなくなるでしょう。

 

出世できるかレギュラーやリーダーになれるかの評価については他の人に任せるべきです。でも自分自身が自分の仕事やプレイに納得できるかの評価を人に任せてはいけません。人の目を気にして仕事やプレイをすることになり、いい仕事やプレイの評価が他人の評価によってのみ決まることになるからです。

 

主観的な基準はどうやって決めるか

ではその基準はどうやって決めればいいでしょう?

それは、仕事やプレイの中であなたがその基準を満たせば「よくやった」と思えるものがいいです。仕事なら顧客満足、売り上げを上げる、チームワークの向上、創意工夫と改善ができたか、早く正確で過誤がないこと、などです。

競技ならエネルギーを効果的に出せたか、考えながらプレイできたか、チームへの貢献を考えられたか、一つでも改善できたか、などです。自分が納得できる基準ならなんでもいいです。

 

ただ「完璧に」とか「誠心誠意」とか「できる限り」といった、完成度を基準にするのは避けた方がいいと私は思っています。
100%いいプレイなどできるはずがありませんから、自分を必ず卑下する事になります。
それは決して、その後のプレイのプラスにならないことです。
また、仕事を80%から100%に仕上げるのには膨大なコストがかかります。80%の仕事を数こなす方が生産性は間違いなく上がります。
そして、生真面目な人は確実にうつ病にかかりやすくなります。
「完璧に」は「成果を増やす」に、「誠心誠意」は「思いやりをもって」に言い換えれば、やりすぎなくてすみます。私は個人的には「完璧」と言う言葉は悪魔の言葉だと思っています。仕事を終わりがないものにし、生産性を下げ、結果得られる成果は8割で終わらせた場合よりも少なくなってしまいます。また自分自身への自信を失わせ、結果やる気をなくします。完璧主義の人は「なるべく適当に」という基準の方が実は人生も仕事もうまくいくと思います。

 

まわりに不評の場合、基準を変えた方がいいです。

「自分が正しいと思ったことを貫く」とか「プライドの許さない仕事やプレイはしない」とかだと、その中身が偏っていると不評を買います。

「お前の正しいとかプライドとか何なんだよ。ただ仕事や競技の邪魔してるだけじゃない。」と思われているかもしれません。

「俺は仕事や競技で○○しない主義だ」とか言って他の人にその○○をやらせている人がいますが、仕事や競技に邪魔なプライドだとしか思えません。

 
主観的な基準が、命がけであなたが守りたいものであるなら、それを守ること自体があなたを形作っているのでしょうから問題ありません。
でもそれが本当に必要で、自分やまわりの人を幸福にしているか、立ち止まって考えてみましょう。

 

あなたの正義心や自尊心は意味がありますか?その基準はあなたの魂を本当に輝かせますか?無駄なプライドではないですか?

 

やりたい仕事やプレイをして、やりたくない仕事の比率を下げていく

 

人生でも仕事でも、やりたいことをやることがその幸福度を高める一番良い方法です。もちろん仕事ですので、業務の大半は「やるべきこと」で占められています。それでもその中で、やりたい目標、やりたい方法を自分の中で決めていくことは可能です。

 

人生の中で、やりたくないことを無理矢理やらされることほど苦痛な事はありません。
だとしたら仕事や競技の中で、やるべきことをやりたくないことからやりたいことに変えていく必要があります。
それには、転職する、競技ならチームを変える、異動を希望するなど、内容そのものを変える方法があります。
でも直接的に変えられますが、簡単にはできないとか、その人自体が変わらないと同じことの繰り返しだったりとかで、限界があります。


そこでまずは手っ取り早く、仕事やプレイのやり方を変えたり、考え方捉え方を変えてみるのです。そのために、目標や方法をやりたいものに変えたり、自分の仕事やプレイの基準を満たすために仕事やプレイをしたりします

やりたいことをやっていると思える比率を上げていくと、仕事や競技に対する満足度も上がります。

 

例えばやりたくない流れ作業的な仕事や練習も、創意工夫して数%苦痛を減らしてそれを積み重ねればかなり心理的に改善するはずです。

苦しい仕事や練習はどうしたら楽になるか、効率よく終わらせられるかを常に考えて仕事をするべきです。

あらゆる方法、手段を使って、やりたくない仕事やプレイ、練習を減らして、やりたいことを増やしていきましょう。

 

あなたの会社、部活、組織の理不尽さは、あなたの成長につながるかを考える

 

よく、組織に理不尽な慣習が残っていて先輩が後輩に押し付けることがあります。また上司や監督が理不尽な要求をしてくると思うことがあります。

その理不尽が本当にあなたの成長につながるのかを考える必要があります。必要であれば、理不尽だと言いにくくなります。

 
相手方が理不尽だと思っていなくても自分が理不尽だと思うこともあるかもしれません。
「あんなに怒らなくてもいいのに」と思うことでも、もしかしてあなたに必要なことかもしれません。

 

仕事や競技での常識を教えようとしている場合はよくあります。

あなたが怒られることに慣れていなければ、他の人が平気でもあなたは理不尽に感じるかもしれません

その時は、他の人に聞いてみて平気であれば、あなたの感じ方考え方を修正しないといけないかもしれません。

 

国民栄誉賞を受賞した野球の松井秀喜選手も、中学校の時はかなり走らされたそうです。
もともと柔道もしていたのですが、中学で野球にしぼりました。
野球のためには多すぎる体重を減らすため、コーチは厳しく指導したそうです。松井選手は一見理不尽に思えることにも、ふてくされることなく黙々と走り続け、野球をするための立派な身体になったとのことです。

 

理不尽な要求に見えたものが正しかったのかは、私たちがもう一段上の人間にならないと分からないことかもしれません。

 

でもその要求が本当に理不尽である場合ももちろんあります。例えばブラック企業は、理不尽な労働を続けさせます。またパワハラ上司は、あなたをうつ病にする位に追い詰めるかもしれません。

もし本当の理不尽にあったら、あなたが出世してその理不尽をなくすか、組織に居続けるメリットの方が大きければ我慢するか、ひどければすぐにその組織を出るかを考える必要があるでしょう。

 

会社、部活などの組織を辞めるときの判断は、やりたいことをやれるか(やりたくないことをやらずに済むか)、成長できるかで決める

 

①会社を辞める

もちろん、年齢がいっている場合は簡単に会社を辞めると判断すべきではありません

特に35歳を超えている場合には、待遇のいい次の正社員を見つけるのは、基本的に困難だと考えた方が妥当でしょう。

でもあなたが若く、若くなくても稼ぐ能力の確信があれば、新しいチャレンジをすることを考えられます。

 

私は会社を辞めるかどうか決めるためには、2つを判断すればいいと思っています。

まず、やりたいことをやれるか、やりたくないことをやらずにすむか、です。

 

私はブラック企業は今すぐやめるべきだと考えています。それは長時間労働やパワハラなど、やりたくないことを過剰にやらされるからです。それはあなたの体や心をむしばみ、幸福度を著しく下げ、最終的に辞めるかどうかの判断もできなくなります。

人生でやりたくないことを無理矢理やらされることほど、苦痛な事はありません。そこから逃れる事は、あなたが自分の人生を幸福に生きるために必要な義務です。

 

 
ブラック企業は論外ですが、あなたの仕事はやっていて苦にならない、またはやりたいことなのでしょうか。

もちろん、やりたくない仕事でも、仕事ですからやらなければならない場面はあります。そしてやりたい仕事に変えていく工夫も必要です。

それでもなお、あなたがあなたの仕事をどうしてもやりたくないと思うのであれば、若いうちならなおさらあなたが本当にやりたいことを考えなければなりません。見つかれば転職の足掛かりとなります。

若いうちにやりたいことが見つかった人以外は、最初からやりたい仕事など存在しません。私たち自身が今の仕事をやりながら見つけていくものです。それまでは、目の前のことを一生懸命やるのが吉です。

でもやりたくないことを嫌々やりつづけるとろくな人生になりません。転職を考える場面だと思います。

 

2つ目は、その仕事があなたを成長させるかどうかです。成長もできないような仕事であれば、あなたの価値は高まりません。もし、報酬も低ければそこで働いている意味はないです。

 

成長を促す職場環境になければ、あなたは将来周りにいる、「仕事できないおじさん」と同じような人間になります
それに恐怖感を感じるのであれば、すぐにでも成長させてくれる職場環境に移るべきでしょう。
やはり人間は、どんなに努力しても周りの環境に染まらないようにするのは難しいです。

 

給料が良ければ、そのままでも良いと考えるのが普通ですが、あなたはそれで満足ですか?

満足であれば良いですが、もしそうじゃなければ環境を変える努力をするべきです。3年後に周りにいる先輩のようになりたいですか?なりたくないのであれば、なるべく早く脱出しましょう

 

②部活などの活動を辞める

何かを我慢したり犠牲にして、成果を得るために努力することや、チームプレイや上下関係の中で礼儀を学ぶことなど、部活などには学べることがたくさんあります。

 

でも、あなたがやりたいことをやれなかったり、やりたくないことをやらざるを得ない状況であるなら、辞めればいいと思います。

よく途中で止めるのは逃げではないかなどと言われます。

でも人間は自分のやりたい事で徹底的に疲れるべきです。

 

やりたくないことを無理やり続けることほど人生の無駄はありません。
精神修養は、やりたいことをやる中でやればいいのです。それが部活になければ、別のものをあなたの人生の中で見つけるべきです。
もし先輩が、「みんな必死になって耐えながら頑張っている」と言うのなら、あなたは「必死になって耐えながら自分が頑張るべきものを見つけました」と言えるようにしましょう

 

また、ユルユルしすぎて自分自身が成長できないと思えば、他の成長できる対象を探した方が良いでしょう。

部活を止めてできた余力を、他の部活、勉強や読書やバイトにあてたほうが、成長できるかもしれません。

いずれにしても、辞めるのであれば辞めた後に何で埋めるかをきちんと考えておいた方が良いでしょう。

 

まとめ:会社部活で評価されないのは、うまくやれば解消できる

 

いかがでしたか?

サラリーマンは決して気楽な稼業とは言えません。学生の部活などの組織活動も苦しいことが多いでしょう。それでもその中で、自己実現を果たしていける方法はあるはずです。会社や部活で評価されないのには理由があり、それはうまくやれば解消できます。

自分のことを知り、自分の能力や性格を最大限に発揮させるために、会社や部活にいてできることを全てやりましょう。そうすればあなたは、仕事において自分の役割を全うし、人生の幸福度を上げて成功に近づくはずです。

この記事があなたの仕事人生を少しでも良くできれば幸いです。

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